つまり、物足りないってのはいいこと、なんだ。
越後妻有(「つまり」と読む)の「大地の芸術祭」は、越後妻有アート・トリエンナーレの別名のごとく三年に一度のイベントで、2000年から開催されているからこの十年でもう四回目ということになる。前から気になっていたんだ。棚田の真中に出現した巨大なオブジェとか、巨匠草間弥生の極彩色水玉模様の巨大オブジェの写真は前から見知っていた。
行ってみたいなあと痛烈に思うにいたったのは、たぶん、去年、横浜トリエンナーレを見に行って(ここにも書いたけど)ものすごく満たされない感覚を抱いたことに由来する。その横トリの批判記事を読んだら、横浜と妻有とを比較していて、後者の土地に根ざした感覚が横浜には欠けていると書いてあって、それなら妻有を見ないわけにはいかないだろう、と。
確かめてみたい、というのが本音だったかもしれない。そんなものうまくいくのかって。雑誌OZの7月号に、アートする旅へ、なんていうキャッチ―な特集があって、そこでメインで扱われていたのが、この大地の芸術祭だった。ディレクターで女子美大教授の北川フラムさんの言葉が紹介されている。豪雪地帯の保守的な土地柄では、最初はもう反対があったという。それが徐々に浸透し、来場者の増加にしたがって、地元とアートとの距離が縮まっていったのだとか。「ここではアーティストは、人の土地にものを作るわけですから、まずは地元の人たちを説得しなければならない。そして厳しい自然や諸条件と向き合い作品を作る。なにをするにも時間がかかります。その時間の中でアーティストは作品を作り、地元の人は自然とのつきあい方を教える。その関わりあいこそが大事なんです」
いい話じゃないか。しかし、紙の上で読むいい話が、実際に目で確かめてがっかりしてしまう例も数多い。本当にそんな理想が実現できるのか。期待はしつつも、不安もあった。
しかし、実際見てみて、できるものだなあと、実感した。展示作品をめぐる散策が、それ自体、わくわくするんだな。だいたい現代アートなんて、訳わからんものが大半なはずなのだが、それを楽しく観賞できる。芸術って、それを鑑賞するコンテクストが大事なのだということを実感する。いい入れ物に入れれば、中身も映える。里山とアート。そのミスマッチが、たまらん。前回は35万人の来場者があったとか。今回はそれを上回りそうとのこと。それもわかる。バイクのあんちゃんがガイドブック片手に次どこ行こうかと思案している。カップルももちろん多い。おばちゃんやおじちゃんも大勢いる。それに地元の面白がり方が半端じゃない。小学生が夏休みのひま潰しに展示スペースをたまり場にしている。スタッフとも仲良し。いいんじゃない、それで。松代地区の「農舞台」と呼ばれる展示施設のレストランをきりもりするおばあちゃん、多分、地元の人なんだろうけど、はきはきと元気に大混雑の客を巧みにさばくさばく。素敵だ。
この手のアート見本市が、本来どういうものか、門外漢の私は、まったく知らない。歴史のあるヴェネツィア・ビエンナーレなんて、記事は読んだことがあるくらいで、全貌がどういうものなのかまったく想像がつかない。だから、越後妻有のやりかたが王道なのか邪道なのか、わからない。でも、面白かった。かなり先鋭的な作品があったはずなのだが、それらすら純粋に楽しめた。写真を取ってもいいし、手で触ってもいい。そんな感覚だからか。
地元のタウン誌を読んでいたら、こんな記事が有った。「何だか物足りないね」といい意味でいう人がいる。つまり、少しくらい居ただけじゃ物足りないんだとか。確かに。こちとら、たった一日の滞在。全部で六つのエリアにわかれていて、イベントも含めて展示は260。しかも、一箇所の複数展示は一つにカウントされていたりするので、実数はわからない。もっと見てみたい。これだけじゃ物足りない。もっとこの地を知りたい。もっと溶け込んでみたい。仲間に入れておくれよ。そう言いたくなる。
それにつけても、地元横浜でそういう感覚が持てたら、もっとずっとよかったと心から思うのだった。
(越後妻有大地の芸術祭2009は、新潟県十日町市と津南町で7月23日から9月13日まで開催)
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