つぶやき

あいたたごめんよごっつんこ

哀川翔とaikoが交通事故だったそうですね。

二人とも怪我もなく、何よりでしたが…

どうして無事だったのか。



アイコデショウ…
だったから…

(し~ん…)

人の不幸をネタにするなんて、最低やね。
しかし、これ、日本全国で百万人ぐらいが言ってそうな気がする…(沈)
以下朝日新聞のネットから

哀川翔接触事故ぶつかった相手はaiko

2009年10月10日

 都内で芸能人同士の車が接触するという珍しい事故があった。俳優哀川翔(48)の乗用車と歌手aiko(33)の乗用車が8日夜、都内で接触事故を起こしたことが9日、分かった。目黒区碑文谷の目黒通りと環状7号線の交差点付近で、哀川の車が片側3車線の中央から左折レーンへ車線変更。背後から直進してきたaikoの車の右前部が、哀川の車の左後部と接触した。aikoの車は縁石に乗り上げ、ガードレールに衝突して止まった。2人にケガはなく、同乗者はいなかった。

 2人は現場近くの碑文谷署に出向き、事故を報告。「事故を起こしてすみません」と謝っているような雰囲気だったという。同署は、哀川の左後方未確認が原因の事故と判断。物損事故として扱い、今後は当事者同士で損害賠償について話し合う。損傷した2本のガードレールの修繕費は、哀川側の負担になる見込み。現場には事故の衝撃を物語るように、ブレーキランプの破片が落ちていた。

 哀川の事務所によると、哀川は家族と食事に出掛けた帰りだったという。aikoの所属レコード会社は「本人にケガはありません。大丈夫です」。12日の福島公演からスタートする全国ツアーは予定通り行う。

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久しぶりです。

二ヶ月ぶりの更新です。たぶん、定期的に読んでくれてる人もほとんどいないブログなので、誰も楽しみにはしてないと思うのですが…

オリンピックの聖火騒ぎが終わった。表面的にはたいしたことがなかったことを喜ぶべきなのか、それでも物騒な警備の物々しさの中で行われたことを恥とすべきか。いずれにしてもスポーツの祭典なのに政治が絡むのは、やっぱり最低だ。

中国政府の姿勢を黙認せよといっているわけではない。しかし、それとオリンピックは、やっぱり別だ。少なくとも、別だ、と考えられるような姿勢を、中国政府には打ち出してほしい。

かつて、市川崑が、記録映画『東京オリンピック』(1965)を振り返って語ったことをそのまま引用する。

「ずっと年表を見ていくと、第一次世界大戦、第二次世界大戦と、大きな戦争があった年にはオリンピックが行われていない。破壊が収まって平和になってからも、次の開催まで何年もかかっている。(脚本の和田)夏十さんは、これがオリンピックの本質だろう、そして、映画のテーマはこれじゃないかと。つまり四年に一度、地球のどこかに全部の民族が集まって、楽しく運動会やろうじゃないか、四年に一度は集まれるように地球をやっていこうじゃないか、という夢の表れなんだということです。どっかで小ぜりあいはあったとしても、世界に大きな戦争がないことのひとつの証しとして、あるいは希望として、オリンピックは行われているんだと」(『市川崑の映画たち』、300ページ)

国家予算規模のお金をつぎ込んで選手を養成し、ひたすら国の威信のためにのみ選手を酷使する競技のどこに、平和を云々する資格があるのかという声もある。そんな昨今にあって、もはやはるか昔と言っていい東京オリンピックのときの理想をいまさら繰り返すのは、愚の極みかもしれない。

でも、それが人間の競技である限りは、「人は四年に一度夢を見る」と映画本編で語る市川崑の視点を支持したい。人間のやることだから、完璧はない。番狂わせもある。それをすべて含めて、夢なんだと思う。そこにあるのは、結局個人のドラマだ。国は関係ない。

1980年のモスクワと1984年のロサンゼルス、この二つのオリンピックは、五輪史上の汚点だ。東西冷戦の犠牲になったこの二つの、不完全なオリンピックは、出場した選手にとっても、そして出場できなかった選手たちにとっても、後味がいいものではなかっただろう。北京がその繰り返しとならないことを、切に願う。中国政府には、もちろん、その環境を作る責任がある。

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