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2008年7月

マジック・アワーの市川崑の姿に涙する

ほとんど読者もいないブログですが、それにしても、またもや、ずいぶん更新に間が開いてしまいました。理由。忙しかったから。それだけです。

スケジュールにぽかっと空きができたので、三谷幸喜監督の最新作『ザ・マジック・アワー』を見てきた。いつもながらの三谷ワールド。巧みな話の運び方に、2時間を越える長尺も、少しも飽きさせない。

しかし、これは、やはり、感慨が深い映画でもある。全編が、ある意味市川崑へのオマージュになっているからだ。エンド・ロールの最初に、「市川崑監督の思い出に捧ぐ」と出る。そして、劇中映画の撮影シーンに市川崑が監督役として登場していて、その劇中映画というのが、明らかに市川監督の『黒い十人の女』のパロディ。(『黒い101人の女』というタイトルらしい…。しかも、その主演が、ある意味晩年の市川映画を支えていたといっていい中井喜一…)そして、エンド・ロールが、あの、われわれが金田一シリーズで見慣れた、画面全体に縦横に自己主張する明朝体のクレジットなんだね。

この映画が市川崑の出演作としての遺作だという話は聞いて知っていたのだけれど、ここまで明らかなオマージュになっているとは思わなかった。

最近、キネマ旬報から出たシネアストと銘打ったシリーズのムック本でその名も『市川崑』という追悼本が出て、そこで三谷幸喜が追悼のエッセイを寄せている。市川崑の人柄がよく伝わる好エッセイだが、そこでもマジック・アワーのことについて触れてある。驚いたことに、劇中の撮影シーンで市川監督の周りをにいた撮影現場のスタッフ役をやったのは、本当の市川組のスタッフ連だったという。三谷は、周りのスタッフが非常に緊張していたと書く。それはそうだろうなあ。ある意味映画史の一部を作ってきた人たちをエキストラとして使うんだもの。緊張するなと言う方が無理だ。しかし、それゆえに、あのシーンは、単なるパロディを越えた、偉大な映画人の仕事に対する真摯なオマージュになったとも言えるだろう。

さて、三谷と市川の間では、金田一モノを一本三谷の脚本で、という取り決めができていたらしい。三谷はそれをすでに完成させていたのだが、市川の訃報を聞いて、「消去」してしまったらしい。三谷は「もう一度書けといわれれば、書けますけどね」とオチをつけているが。

それにしても、このタッグは、見てみたかったなと思う。半分くらい、それはそれで実現したら失敗に終わったんじゃないかなあ、などと思わないでもないのだが、一方で、途方もない傑作に仕上がった可能性もあったはず。その可能性が消えてしまったことは、本当に残念だ。

映画史には(そして、あらゆる芸術史には)、もちろん、この手の、実現しなかったコラボレーションが多くある。天才は、その、実現できなかった仕事すらも、一人歩きさせてしまう。そう、それは、受け手の想像力に許された、せめてもの慰めなんだよ。

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