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2008年1月

加藤博一が、死んだ…

58歳だって。若すぎるよね。ちょっとコミカルな(お笑い系の)解説者で売ってたけど、そのキャラとは大違いの、俊足選手だった。

スーパーカートリオの一人。ってったって、何のことかわからん人の方が多いだろうなあ。かつて、横浜ベイスターズが大洋ホエールズだった頃、近藤貞夫監督が、一番から三番までの打者を俊足で固めたことがあったんだね。それを称してスーパーカートリオ。その一人が加藤博一だった。1番の高木豊も3番の屋敷要も、どっちかっていうと打撃職人みたいなイメージだったのに対して、加藤博一は、おちゃらけた何だか不思議なキャラだったっけ。

いや、しかし、スーパーカートリオってのは、今考えても奇策だったなあ。そういう変な作戦が漫画以外でもアリなんだってのが、当時ものすごく新鮮だった。ずいぶん前の印象があるけど、今調べてみたら、1985年のことだったんだね。アレは。阪神が優勝した年だ。結構話題にもなった。それなりに作戦としては効果はあったと思う。

しかし…そういう奇策を弄しても勝てなかったのが当時の大洋ホエールズなんだな。とにかく弱かったっけ。これより少し後に、確か「横浜大洋銀行」ってあだ名がつけられたもんなあ。大洋と対戦すれば貯金が稼げるってんでさ。特に巨人に弱かったっけ。だからこのスーパーカートリオの誰もが大洋で優勝経験をしなかった。(屋敷は巨人に移籍してから優勝したけどね。)

しかし、博一さん、ちょっとウィキペディアで調べただけでも群を抜いてエピソードが多いね。幾つか拾ってみると…

★西鉄時代、初打席が対南海戦であった。捕手の野村克也に、野村:『若いね、いくつ?』、加藤:『20です。』と答えた瞬間にど真ん中にストライクの球が来たが、緊張のあまり手が出なかった。しかし、後日、同じく南海戦で打席で屁をかましてしまい、捕手の野村、球審まで手で仰ぐほどの臭さだったという(フジテレビ系『笑っていいとも!』テレフォンショッキング本人出演時より談)

ノムさんのツブヤキかく乱戦法に刃向かった選手としては張本が有名だけど(スイングを装ってノムさんにこつんとバットを当てたらしい…やるぜ、ハリさん)、博一さんも負けてないね。

★1981年の阪神ファン感謝デーでは、阪神甲子園球場で福間納や似鳥功(打撃投手)らとともにイモ欽トリオの形態模写を披露して、阪神ファンの人気を不動のものとする。大洋移籍後も阪神ファンの人気は変らず、1985年のシーズンで阪神が優勝に近づく頃に、多くの阪神ファンから「胴上げまでにまだ間に合うでえ、加藤!早よ(阪神へ)帰ってこい!」との声援を多く見受けた。同じ阪神から移籍した江夏豊や田淵幸一らとは違う声援を阪神ファンから受け続けた『阪神OB』の現役選手だった。現役引退後も関西のテレビ番組等では『阪神OB』として出演している。

これも、ヒロカズのキャラだなあ。

★大洋・横浜のファンであるやくみつるは後年、「スーパーカートリオ」の他の二人を引き合いに出して、加藤を堅実で信頼感のある選手であったと述べている。

このギャップがたまらん!

★趣味は下駄の収集だった。

何だそりゃ?(笑)

ヒッロカズッ!ってスタンドからのエールが今も耳に残っている。天国でも人を笑わせておくれよ。でも、死人に足はないから、下駄の収集だけは出来ないぜ。

合掌。

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本日のNHK

NHKウォッチャーばにたすの、本日のNHK。

大道芸人一家のドキュメンタリー。ナレーションを一切加えないで一家を追う。面白かった。以下番組HP から。

ドキュメント にっぽんの現場「きょうも家族会議~親子4人 大道芸にかける~」
▽大道芸のプロをめざす一家。目標に近づくために決めたルールが毎日家族会議を開くこと。親子の会議という「現場」に密着し、失われがちな家族の原風景を甦らせる。

名古屋市を拠点に遊園地などで大道芸を披露する鈴木一家。座長は父・智浩さん、母・恵子さんが助手、主役は2人の息子、宏弥さんと啓太さん。大道芸にあこがれた息子たちのため、父がエンジニアの仕事を辞め、一家でプロを目指す。目標のために決めたのが、毎日必ず家族会議を開くこと。その日の出来から新しいアイデアまで本音のやりとりが続く。家族会議という「現場」に密着、ノーナレーションで家族の原風景をよみがえらせる。

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何でスポンサーがサッポロビールなんだろう

何だかんだ言っても見てしまう、正月2日3日の箱根駅伝。元日の実業団駅伝はほとんど見ないのに、何で箱根だと見てしまうのか。面白いからだ。何で面白いのか。そう言われると、説明が出来ない。不思議な競技だ。

今年は特に面白かった。花の2区、ごぼう抜きのタイ記録が出たこと(いや、区間新記録も出たんだけど、そっちよりもごぼう抜きの方が面白いのだ)。首位がころころ変わったこと。出場できなかった学校の選手だけで選抜された関東学連選抜が4位に入ったこと。中央学院というどちらかというと新規参入の学校が5位に入ったこと。そして残念ながら棄権が3校もあったこと(これは面白がってはいけないな、ドラマティックだけれど)。

無謀な競技、だと思う。駅伝ったって、距離が半端じゃない。片道100キロ以上ある。往復200キロ。それを10人でリレーする。無茶だ。だけどそれをやってしまうのだからすごい。

特に今年は関東学連と中央学院の大躍進は特筆すべきだろう。大学にしてみれば、ただで全国放送で校名を宣伝してくれるのだから、特に後発の無名校にしてみれば、願ってもないチャンスなわけだ。でも、それも簡単にいくものじゃない。普通の陸上競技なら個人技だけの勝負だから、才能ある奴を集めてくれば何とかなる。でも、この駅伝はそうはいかない。はっきりいって経験とノウハウの蓄積がものを言う。だから後発の新規参入校はなかなか上位に食い込めない。山梨学院だって、留学生を呼んで話題は作ったけど、優勝は初出場からかなり後になってのことだった。

その意味で、寄せ集めの関東学連選抜の4位は本当にすごい。学連選抜が出場するようになってもう何年にもなるが、学校として出場することはできなかったとはいえ、各校のトップランナーが集まってるはずなのに、まず上位に食い込むことはなかった。それが駅伝の難しさを物語っていた。何しろ、学連選抜は毎年選手が100パーセント入れ替わってしまうのだから、ノウハウの蓄積なんてあったもんじゃないはず。それが、今年の4位である。もしかして、この寄せ集めで優勝なんてしてしまったら…なんて、夢を見てしまいそうな順位だ。いや、もちろん、本当にそうなったらすごいけど、そんなことがほとんどありえないことは、重々承知しているのだけど。

一度だけ箱根駅伝に出場する選手を教えたことがある。M大学のO君。いつも授業では前に座ってまじめに授業を聞いていた。その頃私は、まめなことに頻繁に授業内小テストなんてことをやっていたのだけれど(講義なのにね)、それをM君はほとんどカンペキに答えてくる。そんな彼が、「来週は箱根駅伝のための合宿で休みます」と言ってきた。ああ、そういえば久しぶりに出場を決めたんだった。でも、彼は、授業にはまず欠席しなかったし、授業態度もまじめだったし、控えの選手なんだろうなと思ったのだけど一応聞いた。「出るの?」答えは「出ます」。さらに付け加えて「エントリー変更がなければ」。本当にびっくりした。体育会の学生にレッテルを貼っていた自分を恥じた。

O君は当日のエントリー変更もなく、5区を走った。それから3年間、ずっと5区の山登りを走った。最初の2年は成績的には振るわなかったけど、最後の年はすごかった。区間2位だった。しかし、テレビにはほとんど映らなかった。昨年のことだ。山登りの神様といわれて区間新を更新したJ大のI選手の話題で持ちきりだったのだ。しかも個人成績では区間2位でも、全体の学校としての順位はもっと下だから、なおさら走っている最中は注目されない。

しかし、3年をかけて、ステップアップしていったO君の努力は、本当に賞賛に値する。そのことをもっとテレビの画面で評価してほしかった。いや、君はがんばった。本当に。O君には、本当に、そう声をかけてやりたかった。

というわけで(どういうわけだ?)たぶん来年も箱根駅伝は見てしまうのだろうなあ。

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