加藤博一が、死んだ…
58歳だって。若すぎるよね。ちょっとコミカルな(お笑い系の)解説者で売ってたけど、そのキャラとは大違いの、俊足選手だった。
スーパーカートリオの一人。ってったって、何のことかわからん人の方が多いだろうなあ。かつて、横浜ベイスターズが大洋ホエールズだった頃、近藤貞夫監督が、一番から三番までの打者を俊足で固めたことがあったんだね。それを称してスーパーカートリオ。その一人が加藤博一だった。1番の高木豊も3番の屋敷要も、どっちかっていうと打撃職人みたいなイメージだったのに対して、加藤博一は、おちゃらけた何だか不思議なキャラだったっけ。
いや、しかし、スーパーカートリオってのは、今考えても奇策だったなあ。そういう変な作戦が漫画以外でもアリなんだってのが、当時ものすごく新鮮だった。ずいぶん前の印象があるけど、今調べてみたら、1985年のことだったんだね。アレは。阪神が優勝した年だ。結構話題にもなった。それなりに作戦としては効果はあったと思う。
しかし…そういう奇策を弄しても勝てなかったのが当時の大洋ホエールズなんだな。とにかく弱かったっけ。これより少し後に、確か「横浜大洋銀行」ってあだ名がつけられたもんなあ。大洋と対戦すれば貯金が稼げるってんでさ。特に巨人に弱かったっけ。だからこのスーパーカートリオの誰もが大洋で優勝経験をしなかった。(屋敷は巨人に移籍してから優勝したけどね。)
しかし、博一さん、ちょっとウィキペディアで調べただけでも群を抜いてエピソードが多いね。幾つか拾ってみると…
★西鉄時代、初打席が対南海戦であった。捕手の野村克也に、野村:『若いね、いくつ?』、加藤:『20です。』と答えた瞬間にど真ん中にストライクの球が来たが、緊張のあまり手が出なかった。しかし、後日、同じく南海戦で打席で屁をかましてしまい、捕手の野村、球審まで手で仰ぐほどの臭さだったという(フジテレビ系『笑っていいとも!』テレフォンショッキング本人出演時より談)
ノムさんのツブヤキかく乱戦法に刃向かった選手としては張本が有名だけど(スイングを装ってノムさんにこつんとバットを当てたらしい…やるぜ、ハリさん)、博一さんも負けてないね。
★1981年の阪神ファン感謝デーでは、阪神甲子園球場で福間納や似鳥功(打撃投手)らとともにイモ欽トリオの形態模写を披露して、阪神ファンの人気を不動のものとする。大洋移籍後も阪神ファンの人気は変らず、1985年のシーズンで阪神が優勝に近づく頃に、多くの阪神ファンから「胴上げまでにまだ間に合うでえ、加藤!早よ(阪神へ)帰ってこい!」との声援を多く見受けた。同じ阪神から移籍した江夏豊や田淵幸一らとは違う声援を阪神ファンから受け続けた『阪神OB』の現役選手だった。現役引退後も関西のテレビ番組等では『阪神OB』として出演している。
これも、ヒロカズのキャラだなあ。
★大洋・横浜のファンであるやくみつるは後年、「スーパーカートリオ」の他の二人を引き合いに出して、加藤を堅実で信頼感のある選手であったと述べている。
このギャップがたまらん!
★趣味は下駄の収集だった。
何だそりゃ?(笑)
ヒッロカズッ!ってスタンドからのエールが今も耳に残っている。天国でも人を笑わせておくれよ。でも、死人に足はないから、下駄の収集だけは出来ないぜ。
合掌。
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